杏子とOLの出席簿

20代女子ふたりの背伸びをしない交換日記。

Two drifters, off to see the world【杏子 引っ越し】

by あしきょう

 

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まもなく引っ越しをする。夏休みのラストを飾る大イベントだ。
今着ていない冬服から箱に詰めるも、あっという間に、毎日目にしている暮らしのレイアウトを崩さなければいけない時は迫る。

 

本棚には、3段目に彼がおみやげで買ってきてくれたル・シャ・ノワールの表紙のノートを飾り、最上段の5段目には、気に入って買ったエマ・ブリッジウォーターのボウル、ウィッタードのティーポット、そして彼専用のマグカップを並べていた。
文庫本を1冊だけ手元に置いて、あとの書物や書類は箱にぴっちりと収めた。

 

引き出しのある段には紅茶の箱を並べていた。彼が遊びに来ると、腰を下ろすなりその引き出しを開けて見せて、頭を寄せ合ってはその日の茶葉を選んだものだった。
ティーバックを少しだけ残し、ルーズリーフの茶葉は全て箱に詰めてしまった。11か月前にここに越した時にはせいぜい3種類しかなかったのに、すっかり増えたものだ。

 

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荷造りをしながら、映画『ティファニーで朝食を』を流していた。
オードリー・ヘップバーンがアパートを出る前日に、ジョージ・ペパードを呼びつけるシーンに、思わず引っ越し前夜の自分を想像し、重ねてしまう。

 

引っ越し先はそう遠くない。すぐ隣の地区で、歩けば30分しないで着く。だけれどもワタシは、彼の家と歩いてほんの10分のこの距離が愛おしくてたまらない。
引っ越さないで済めばよかったのにと思う反面、この1年のあいだ、設備の数々の不具合にかなりストレスをかけられる暮らしをしていたために、今度は快適に暮らせるぞ、という安堵もある。

 

彼もわたしがここに越した当初は、新しい部屋を探したほうがいいんじゃないと言っていた。でもそれを言わなくなったのは、きっと彼もこの距離感を気に入っていたからだと思いたい。
一緒に歩いた道、彼の家の壊れたインターホン、ワタシの家の前の木蓮並木、そのどれもがただ愛しい。

 

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でも夏が終わって秋になったら、彼は引っ越しどころか、離れた国に行ってしまう。でもワタシは彼が去ったあともこの街で生きていかなければならない。だから、新しい住まいはワタシの新しい暮らしの背中を押してくれるに違いない。
ワタシは新しい部屋にもル・シャ・ノワールを飾ることはできるし、彼の旅立ちの前にお茶に来てもらうことだってできるかもしれない。

 

変化を、受け入れよう。

 

それにしたって、愛しい日常をこの手で自ら壊すとは、なんと残酷なことだろうか。ワタシだけのオアシスを守りたい気持ちと、暮らしを崩さなければならない義務感との間で、ワタシは無駄な葛藤を重ねる。
引っ越しなんて、淡々と、せっせと作業を進めないと終わらないのに。いくらノスタルジーに浸ったって、時は待ってくれないのに。

 

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星空の下のディスタンスが開こうとも
終わらない君との青春
それぞれの思い出を抱きしめて
真新しい一日の始まりを迎えよう

 

 

(元ネタがわかる方はなかなかいい世代とみました)