杏子とOLの出席簿

20代女子ふたりの背伸びをしない交換日記。

親から「コスパのいい子」と言われたかった人たちへ【OL 出席】

親から申し分ないほどの愛を与えてもらってきた。

 

 

不自由ない生活

休みのたびにどこかに連れて行ってもらった

いつでも味方でいてくれる母

お母さんたちばかりの中、学校の役員もしてくれていた父

 

 

 

中学受験・塾・家庭教師・習い事・免許・部活

大学まで学費を払ってもらって

欲しいものは買ってもらってきた。

 

それが親としてどれだけ大変なことか私にはわかる。

だからいつも、怖かった

 

 

 

 

かけてもらった金額に相当する結果を出せているだろうか。

期待を裏切っていないだろうか。

 

 

 

私がもしもダメになった時

両親はどういう反応をするだろう

がっかりするだろうか

「あんなに手をかけたのに無駄だった」と思われたらどうしよう

失望されたら

愛してもらえなくなったらどうしよう

 

 

 

 

幼いころから親の顔色を伺い

人の心を読み

「求められる私」を演じてきた。

親に反抗することなんてなかった

 

だから大学受験で「あなたの好きな学部に行きなさい」と言われたときも

両親が行ってほしいであろう法学部に行った

「好きなようにしていいのよ」の言葉の奥にある親の意見を読み

「私が決めた風」を装った「親の希望」を叶えてきた。

 

 

 

でも別にそれがイヤなわけではなかった。

「いい子でいること」「愛されること」を私も望んでいた。

不自由を感じることは確かにあったけれど

逃げ出したいとは思わなかった。

鳥籠の中は狭いけれど、絶対的に守られている。

綺麗な声で鳴いていれば、かわいいかわいいともてはやされる。

 

 

 

 

 

コスパのいい子だと思われたかった。

育ててよかった、お金をかけた価値があった

と思われたかった。

 

きっとその目的は果たせていたと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

でも

 

高校時代はリストカットが親にバレて精神科に通い

大学時代は拒食と過食嘔吐になったけれど

またメンタルヘルスかと思われたくなくて病院に行けなかった。

 

おかげでいまだに左手首には傷があるし

1人で夕飯を食べるのは怖い

ふとした瞬間に暴食がはじまるのではないかとビクビクし

胃の中にあるものを全部吐き出したい衝動に駆られる夜もある。

 

 

 

反抗期がなかったからか

自分の想いを放出したり、感情の処理をするのがヘタだ。

 

 

 

 

それから、

弟は私と同じ中学高校に通ったけれど

自由奔放でいい子ちゃんではない彼は、親から反感を買ってしまった。

 

「お姉ちゃんはいい子だったのに、あなたはどうしてできないの」

比較され、攻撃され、縛られる。

私が親の言うとおりにしすぎてしまったから

弟がする少しの反抗も親にとっては一大事で

しょっちゅう「育て方を間違えた」と連絡してくる。

 

 

子どもはコントロール可能な自分たちの分身だと、親に思わせてしまった。

私の責任だ。

弟には申し訳ない気持ちでいる。

さぞかし生きづらいだろう。

 

 

 

とある殿方にこのことを話したら

うちの両親は俗にいう「毒親」だと教えてくれた。

特徴とか言動とか、まさにそれで少し笑ってしまった。

 

 

親のことは愛しているし

感謝している。

でも将来、両親のような親にはなりたくない

 

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でもいつか私が子どもを持った時に

私も同じような育て方をしてしまうのではないかと考えたら

やっぱりまだまだ子どもはほしくないやって

そう思ってしまうのだ。

 

 

 

コスパのいい子だと思われたかった私は

せめて自分の子どもには

なにも気にせず、思うがままに生きてほしい