秋に終わる恋は 【杏子 保健室】
by 杏子
想像してみてほしい。
7年もひとりの人に片想いをしたあとで、悪い大人に弄ばれた少女の気持ちを。
まだ好きな人の手のぬくもりも知らなかった10代の頃、ワタシを口説いてきた殿方がいた。
既婚者だった。
殿はそれをワタシに悟らせずに巧みにに近づいて、距離を縮めた。ワタシに恋バナを語らせた。
気がついたら乗せられて、学校の友達にも言えないような心の奥底の悩みを吐き出していた。希望と現実の狭間で揺れる、大学受験の前だった。
親友にも話していなかった本当の気持ちを、殿の前にさらけ出していた。ワタシは本当は誰かに聞いてほしかったんだと思う。だけど、人につついててもらわないと放出すらできないほどに、感情の蛇口はありとあらゆるもので詰まっていた。
今考えれば彼がワタシを口説いてきた理由はよくわかる。何かメンタルに弱った部分があるとき、女の子は悪い男にも弱い。しかも恋のいろはも知らない純情娘と来た。彼にしてみれば、ちょっと小技をいくつか使えばわあのときのワタシなんて簡単に落とせる自信があったのだろう。
そして、ワタシはまんまと罠に引っかかった。彼が妻帯者だと知ったとき、ワタシはすでに彼に惹かれる気持ちを止められない段階だった。
罠と言えども、ワタシは結局いい子ちゃんだったので、大したことはしていない。
2度目のデートでは顎クイまで許したにも関わらずキスを拒否した。そのあとは会っていない。
文字どおりひと夏のアバンチュール。その秋には関係は保たれていなかった。けれど、大学に合格したとき、彼はお祝いメールをくれた。
うれしかったけれど、むなしかった。
たった2か月だけの恋とは思えないほどに、後遺症が残った。それは体験がワタシにとってあまりに衝撃だったからだと思う。
だって、彼以前にワタシの手を握った男はいなかった。肩を抱いた男だっていなければ、甘ったるく下の名前を呼び捨てで呼んでくる男もいなかったし、耳元で囁いてくる人もいなかった。
耳は舐めるものだなんてそのとき初めて知ったし、胸を触られてどう反応していいかわからなかったから、不快ではなかったが、いやむしろ快感に思っていたが、声を出すことはできなかった。声は出すものだと知らなかった。
わかっている。高校3年生でそれは「遅い」ことはわかっている。
でも、大人の階段は一歩ずつ登りたかった。
20代も半ばが見える今となっては、もう彼を思い出して辛くなることはないけれど、それでもやっぱり、彼と最後に会ったこの季節になると、あの日のデートのことを思い出してしまう。
ワタシは理性を取り戻したおかげでそのあと泥沼にははまらずに済んだけれど、あれで関係が続いていたらと考えるとそら恐ろしい。
関係が途切れたのは、わたしが最後のデートですらキスを受け入れなかったから。そしてワタシはその接吻を拒否したのは、どちらかというと彼だからと言うよりはまだ誰にも捧げていない唇だったからのように思う。
ワタシは今あの恋を「予防接種」と呼んでいる。おかげで以降は悪い男か否か瞬時に判断できるようになった。
ただし、とっても恋に臆病になった。