杏子とOLの出席簿

20代女子ふたりの背伸びをしない交換日記。

思い出と憎しみの狭間で【杏子 出席】

by 芦田杏子


f:id:koukandairy:20180211111756j:plain

 

恋の裏番組で、友人関係についても考える。

 

高校でいつも一緒に時間を過ごした仲間がいる。5人組だった。
スクールカーストの上ではなく、下でもなく、5人共がちょっとニッチ枠。

 

どの組み合わせにされても気まずさはなく、大好きだった。
ただなんとなくユニットはあって、わたしを含む3人は、いつも席替えのたびに「目が悪いので1列目にしてください」という「嘘」を3人で平然と並べて、教室の最前列を固めていた。
それは相談して練った作戦ではなく自然発生的なもので、クラスメートがわりと賑やかだった中、授業を真面目に聞くために組んだ暗黙のスクラムだった。

 

そんなスクラムを組めるふたりが大好きだった。ふたりとも人間的な難が、アクが、なかなか強くはあったが、友達というのはそれもひっくるめて愛おしいものであって、きっとふたりもワタシのアクも含めて深く愛してくれていたのだと思う。

 

 

「いたのだと思う」。いや、ふたりは現在進行形で愛してくれているかもしれない。
でも、ワタシは今、ふたりを愛することが難しく感じる。

 

ふたりの態度は変わらないと言えばそう。だからむしろ、ワタシの方でその愛の受け取り方が変わってしまったのかもしれないが、ワタシはそれぞれにそれぞれのときに我慢の限界を迎えた。

 

きっと彼女たちにしてみればワタシが突然そっけなくなったように思うだろう、何が原因で、とも思っているかもしれない。

 

ところがワタシもはっきりと「これが理由であなたを嫌いになったよ」というのが難しい。
なぜならそれはアレルギーの潜伏期間と同じで、日々の蓄積がある日ふと、我慢のビーカーから溢れてしまったようなもので、きっかけとなった一言があるわけでも行為があったわけでもない。

 

それを人はわがままというかもしれない。
でも、わがままだと言われようとも、自己中心的だと言われようとも、それでもワタシは彼女たちから距離を置いて「自分を守らなくちゃいけない」と思った。

 

 

当時はうまく表現できなかったけれど、彼女たちの嫌になった部分というのは、今で言う「マウンティング女子」的な要素かもしれない。

彼女たちは承認欲求が強かったように思う。

そんなことしなくたって、わたしはあなたの存在を認めているのに。

むしろマウンティング系発言が重なるほど、ワタシの中では憐れみが募った。そんな言動でしか己を見出せないのか? そんな疑問はむくむくと増殖していった。

マウンティングの果て、例えばワタシがすごく信頼している友達の悪口を言われたり、或いはワタシ自身に関する根も葉もない噂を直接確認されたりした。

限界だ、と思った。どうやってこれ以上彼女らを信頼し関係を築けると言うのか。

これ以上自分の心ををすり減らしてまで彼女らのマウンティングに付き合うことはない、かつ、それを本人に言う必要もないと思い、黙って距離を置いた。

こういう発言が嫌だよ、と本人に伝える努力をしてみても良かったけれど、それは改善を望むからこそ出てくる言葉。ワタシはもはや改善も求めなかった。ワタシはそれまで務めて誠実に接した、けれどそれが伝わらなかった以上は、ワタシの知らないところで勝手に堕ちていけばいいと思った。

彼女らは、ワタシを冷たいというのだろう。けれどあなたたちは知るまい、ワタシが流した涙の温度を。

そして、知らなくていい。