杏子とOLの出席簿

20代女子ふたりの背伸びをしない交換日記。

もし、殿は運命の人ですか【杏子 出席】

by 杏子

 

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ひさしぶりの、本気の恋に、ワタシは開眼した。

 

長い間、需要と供給の合わない恋を繰り返したことは以前ちらりと触れた。

koukandairy.hatenablog.com

 

本気になったのなんて、初恋くらいなのである。初恋の彼を散々、まわりが呆れて一周回って尊敬されるレベルまで引きずって、ようやく気が済んで以後も、ワタシは本気で好きになれる人を見つけられなかった。

 

だから、もうあれは初恋マジックだったのだと、人が本気で恋をするなんてむしろ一生に一度あればいいモンで、大人はポジティブに妥協をしながら生きていくのだと、思い始めた矢先の出来事だった。

 

 

本気で、恋をしてしまった。

 

 

まさか好きになるとは思ってもみない人だった。好きになる前から知り合いではあった。よくおみくじにある、周りをよく見なさいってこういうこと?そう思うレベルに、その人を恋愛対象として考えたことはなかった。むしろ、少し苦手なタイプにカテゴライズしていた。

 

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以下すごくムカつく文章かもしれないけれど、正直なところを勢いに任せた熱量で書く。苦情クレームは受け付けない。自己責任でお願いしたい。

 

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ワタシはこれまでに何人ものオタク系男子を引っ掛けてしまってきた。こう書くと彼らの純粋な気持ちを踏みにじっているようで本当に本当に申し訳ないけれど、本当に、ワタシは彼らに好意を抱かれるのが本当に苦手なのだ。彼らは、ピュアすぎる。

 

別にオタクっぽい人やオタクを非難するつもりはさらさらなくて、むしろワタシだって分野によってはオタクっぽいと言われかねないような趣味突き詰め型の性格だ。だからこそ彼らとは友達として仲良くしたいのに、ワタシは、むしろその手の子を簡単に惚れさせてきてしまった。

 

もうその好意は手に取るようにわかった。

 

彼らの話がおもしろいと思うから、“友達として”興味を強く持って聞く。それが何度か続く。気がつくと、好意を持たれていた。彼らのスイッチがパチっと入る瞬間が、ワタシにはわかった。

 

スイッチが入った途端、彼らはその気持ちをまっすぐにぶつけてきた。もうそれは清々しいほどに。むしろ自分も好きな人にあんなふうにできたらどんなにいいだろう!メールに電話にSNSに、何とかワタシとふたりでご飯に行こうと、まっすぐにアタックされる。

 

けれどワタシは彼らのスイッチが入った瞬間に、気持ちが氷点下まで凍てつくのだ。ああ、また“友達を失ってしまった”と。彼らが好意のスイッチを入れる瞬間はわかっても、何がそのスイッチを押してしまったのか、その押した瞬間に、ワタシは自覚がない。

 

性の対象としてみていない人、かつ自分が“女”を出していないつもりで接した人が、全力で“男”をアピールしてくるときの恐怖感。伝わるだろうか。いやこれでは言葉が足りない。恐怖感だけではない。友情を失った喪失感やがっかりする気持ちに加え、恋愛と友情の取り違えにワタシは傷つく。

 

彼の気持ちには応えられない。そして、もう友達には戻れない。つまりワタシは彼という友達を失う。

 

加えて残念ながら、そういったピュアな人ほど諦めが悪い。それは性格なのか恋愛経験の数値の問題なのかはわからないが、やんわり交わすくらいでは逃げられない。

 

そういう案件が、3年前の春から秋の半年に5、6件立て続いた。その短期間だから、当然2人くらいは時期がかぶったりもしている。いろいろいただいた。未だあのときもらったアクセサリーをどうしてよいかわからずタンスの奥に沈めている。

 

そしてその諦めの悪さの証拠に、うち3人が、未だにコンタクトを取ってくる。

 

とにもかくにも、6人目の頃にはワタシは疲弊していた。人生の中で仕事が一番忙しい時期で、ただでさえ死にそうだったのに、彼らに煩わされて精神的にも非常にしんどい季節だった。あの時期ほど「恋愛なんてどうでもいい」と思ったことはない。

 

さすがにそれだけそのジャンルの人を知れば、いい加減嗅覚も記憶するようになる。以後はその手の人を早めに察知して、意図的に“安全な距離”を確保した。

 

実は今回恋に落ちた相手も、はじめは“その手の人”だと思った。

 

初めてまともに話したとき、世間話のつもりで何気なく振った話題が、偶然にもその人の趣味どんぴしゃりだった。そこから1時間近く、相手の話を聞いていたような気がする。別れた後で、その日の会話に出てきたYouTubeの動画のリンクが送られてきた。

 

相手の話が止まらないので途中で「そろそろ帰りたいな」と思って、なんとか挟み込んだ「ワタシは帰ります」だった。やっと帰路に着いたとき、やばいまたオタクを引っ掛けてしまったかもしれないなぁ、あるいは今後もこのペースで話を聞いていたらそういうことに発展してしまうかもしれない、安全な車間距離を確保せねば、と思いながら、動画のリンクが記載されたメッセージに既読をつけた。それがこの前の春先の話である。

 

その後数か月間は、会って話すことはあっても、わたしは車間距離を崩さなかったので、特に関係が発展することはなかった。

 

 

でも、恋なんて何がきっかけではじまるかわからない。

 

 

つい2か月前の話だ。あるイベントでワタシはスタッフをしていたのだが、そこでその人と一緒になった。仕事内容は違ったが、ワタシに割り振られた、明らかにひとりでこなすには無理ゲーだった仕事で取りこぼしが出たその瞬間、彼が何も言わずに助けてくれた。

 

その後イベントの舞台裏で、ふと待機時間ができて彼の隣に立ったとき、“ちょっとした緊張感”を感じた。それは、友達には感じない、あの“緊張感”。それと同時に、妙な居心地の良さと、予感。ワタシはその瞬間、安全距離を崩しにかかった。明るく世間話を振って、その繊細な緊張感をあえて破った。居心地がより良くなった。

 

さらに、その晩にメッセージを送った。本来ワタシは業務委託されただけで、彼にお礼を言う義理はない。けれど彼はそのイベント主催者と無関係なのにヘルプに雇われた立場だったし、ワタシはある意味で主催者の身内だったから、シンプルに、今日はご協力ありがとうございました、ワタシの仕事のミスもカバーしてくれて感謝しています、と打った。

 

ワタシは翌日別会場で行われたそのイベントに再び赴かなければならず、すべてを終えたときにあまりにほっとしてめずらしくフェイスブックに長文を投稿した。すると彼から個人メッセが来た、「本当におつかれさまでした…!」。

 

そこからだった、ワタシが“予感”を“確信”に変えたのは。

 

それ以来他愛のないメッセージが途切れなかった。数日後偶然会って、ほかの人も交えて夕食に行く機会があった。帰り道ふたりだけになった。ムズムズした上に、そういうシチュエーションがあまりにひさしぶりで一瞬わたしは逃げ出したくなった。だけれど、その気持ちに鞭を打った。

 

幸せに飛び込むとき、人は恐怖心を感じる。でもそれに打ち勝たねば、幸せは手に入らない。

 

いいじゃない、失敗しても。新しい領域に飛び込んでみないと、人生変えられないよ、ワタシ。もう(実際にそうかどうかは別として)童貞っぽい人に追いかけられるのは嫌なんでしょう?なら飛び込むんだ、ワタシ…!

 

はじめてふたりで歩いた夜道、その日、月がきれいだった。

 

その後ワタシたちは順調に距離を縮めていた。ワタシから勇気を持って好意をほのめかせることもしたけれど、相手からも同じような温度で返ってきて、こうやってお互いに気持ちを紡いでいける恋愛は初めてだし、なんて心地いいんだろうと思った。今まで追うか追われるかの二択だった。だから彼は理想に思えた。

 

はじめてのデート。彼がいろいろリードしてくれた。彼がお気に入りのお店でお茶をして、お菓子を食べた。秋のおだやかで暖かい日差しの中、ゆっくりとあるいて、駅前のお店を物色して、オーガニック食品のお店でそれぞれハチミツを買った、ワタシはグレープフルーツのマーマレードも買った。

 

その夕方彼の買い物に同行したら、思いがけず翌朝もそのお店に顔を出すことになって、2日連続で会った。お茶して、夕ご飯を食べて、家まで送ってもらって、翌日の朝にまた会って、お昼には「連れて行きたいところがある」と言われて、彼行きつけのサンドイッチ屋さんに入った。

 

家まで送ってもらったときに、彼の家が近いことも判明した。その日は夜8時には解散する健全ぶり。とても心地よかった。

 

次に彼とお茶に行ったとき、彼の服の趣味から考えて「こういう女の子好きだろうな」と思った、クラシカルな格好で行った。待ち合わせて、カフェに入って席に着いたとき、彼はわたしが頭に巻いたスカーフを指して「今日おしゃれだね」と言った。ワタシは本気で照れてしまった。彼のためのおしゃれだったからだ。

 

覚えている、初回のデートのときも、普段はかっちり上げている髪を下ろして行ったら、彼は少し驚いたような、でもちょっと嬉しそうな顔をした。

 

ワタシが平日ど真ん中に突然休みを取って2泊3日の旅行にでかけたとき、彼にだけ旅行に行くことを伝えた。場所も詳細も伏せて旅先の朝食をInstagramに上げたら、一番にイイネが来た。

 

旅から帰ったその夜、駅から自宅までの通り道に彼の家があったから、お土産を渡しに寄ってもいいかと連絡をした。驚いたようだったけれど、すごく歓迎してくれて、キッチンでお茶を飲んでおしゃべりした。図らずも、外ではいつもかっちりした格好をしている彼の部屋着を見てしまった。

 

彼に褒められた上に、スカーフが似合うと言われたから、旅先の古着屋でスカーフを買ってきた話をした。それを見せたら「いいと思う」と真面目な顔で言われた。まぁ、「化繊だね」とも言われたけれど。

 

ハロウィンの日の夕方にも偶然会ったから、夕ご飯に寄りつつ一緒に帰った。レストランのドアにハロウィン用の飾りの蜘蛛が付いていて、ワタシは本気で驚いてしまった。ワタシが食べきれなかった食べかけの料理を、彼が食べてくれた。

 

次に会ったとき、彼は具合が悪かった。一緒に歩いて帰って、途中で彼が食べられそうなものを買うのに付き合った。彼に会う日は、なぜだかいつもいい天気だった。

 

その後もっと体調を崩して弱っていると連絡があった。ちょうどワタシのもとに実家から大量の仕送りが届いたところで、ワタシはインスタントのスープを差し入れつつ、彼を見舞った。でも、彼女ではないので、家に上がりこんで看病することは申し出ないと決めていた。彼のプライベートは侵食したくなかった。そして過去の恋愛においておせっかいが引き起こした失敗を繰り返したくなかった。お大事にと言ってさらっと去った。

 

日を追えば彼は問題なく回復していって、けれども腹痛で眠れないという夜に、チャットをして寄り添った。深夜テンションでわりときわどい言葉をワタシはたくさん投下した。今回のプロジェクト本来は一緒だったから、いるはずの君がいないのはさみしい、あるいは、文章の言葉の選び方がきれいだよね、頭がいい人の文章って感じがする、なんて言ったと思う。

 

相手ははじめ喜んでいたものの、謙遜から「俺そんな頭よくないよ」と言うので、「頭がいい人はみんなそう言う」と返したら、「褒めすぎ!」と照れていたのが最高に愛おしかった。

 

体調がかなりよくなったと連絡が来た日、今度の週末遊ぼう、と誘われた。一度は、体調ちゃんと治るの?なんて言ったが、その誘いに上がる口角を抑えられなくて通知のスクリーンショットを撮った。断るわけがない。

 

そして金曜日にワタシはプロジェクトを終え、彼と週末何をするか相談するために連絡を取ろうとしたら、ワタシの終業を見計らって向こうから連絡が来ていた。そういうマメなところ、たまらなく好きだ。

 

その週末、彼から付き合おうと言われた。

 

男の子にそう言ってもらったのは人生で初めてだった。あの月が美しかった夜に、勇気を持って彼の世界に飛び込んで良かった、と思った。普段は幸せ恐怖症で、楽しいことがあってもそのあとに絶望を感じるのが怖くて楽しみきれないワタシが、その日は何の恐れも感じることなく、幸せに浸ることができた。

 

ところが、彼は違った。その日の別れ際に突然不安に襲われたのだと言う。夕方にわかれて帰宅後数時間したら、夜電話したいと連絡が来た。その電話で、一旦友達に戻りたいと言われた。

 

つかの間すぎた。

 

その夜どうやって寝付いたのか覚えていない。翌日は亡霊のような気分だった。死んだことないから亡霊の気持ちなんて知らないけれど。涙もうまく出ずに、ただ呆然と幸せの記憶と電話の言葉を交互に思い返した。渡すつもりは無しに、彼への気持ちを手紙として書き出してみたりした。

 

数日後、やはり顔を見て話さないとよくわからないから会ってくれと言って、少し対面で話した。彼の意思はその段階では変わらなかった。言葉が途切れた。だからその日は「わかった」と言って開放した。

 

その晩、ワタシは生まれて初めて徹夜をした。交感神経が高ぶって眠れなかった。

 

その後、いろいろなことを考えたし、信頼できて、口が固くて、かつ今自分たちがいるコミュニティとは関係がない人に相談してみたりした。

 

そしてワタシはひとつ結論を出した。

 

しばらく、彼を突き放そうと思う。

 

お互いのスケジュールの関係で、次に会うのはきっと年明けだ。その間、ワタシたちはお互いの動向をInstagramで把握することだろう。

 

ワタシは今彼を追ってはいけない。

 

それでいて、ワタシは知っている。彼が、ワタシを嫌いにはなっていないことを。現に彼はワタシの動向を気にしているのは丸わかりなのだ。

 

会わない間に、彼がワタシを再び追いたくなるほど、いい女になってやる。

 

そう決めたら、不思議と気分はすがすがしく、とても元気になった。

 

今までワタシは、女としての本気を封印していた。それは複合的な理由からの行動だけれど、とにかくその蓋を縛る紐は固くて、周りの友人がどんなに「化粧しなよ」「髪を下ろして巻きなよ」「スカート履きなよ」と言っても聞かなかった。そうしないとワタシの魅力に気づけないような人なんて、いらないと思っていたからだ。

 

けれど、彼は、“そうしていない”ワタシに、女の子を見出し、褒めてくれた。そして、書くと恥ずかしいけれど、彼は、ワタシが今まで恋で報われなかったのは、みんなの見る目がないせいだ、と言ってくれた。

 

素材を褒めてくれる彼のためなら、いや、彼のためと言うとちょっと違う、彼になら自分が出すことを恐れてきた“女の子の側面”を預けても怖くないと思えた。化粧も女の子らしい格好もしたいと自然に思えた。

 

頑固で頑な、かつトラウマの塊のワタシをそこまでほぐした彼は、すごいと思う。

 

そして、とある友人が彼とワタシの誕生日で占ってくれた。

 

その占い法だとワタシたちは、相性の良さが100%、かつお互いの足りないところを補い合える、夫婦になったら最高の関係らしい。

 

でも同時に、彼は今年厄年のような時期らしい。そんなときに下す決断はだいたい間違っているとも言われている。

 

占いが全てではないのは百も承知で、ただ、彼の“厄年”のようなそれは、去年が一番ハードだったはず、と友人が言うのを聞いて、そういえば去年は何をしてもうまくいかなかったと彼自身が言っていたのを思い出した。あながち外れていない。

 

年明けになると彼の“厄年”は終わるらしい。だから、そんなもう少しなら、待ってもいいなって思う。

 

だって相性の良さが100%だなんて、もしかしたら彼は“運命の人”なのかもしれない。だったら、ここでやすやすと手放せるものか、と思う。

 

次に会うとき、彼は“厄年”を抜けているはず。

 

いきなり“彼女”に戻れるとは思ってないけれど、ワタシは彼の未来を一番応援している人でありたいと思う。ちょうど今、人生の進路に悩んでいる彼の。

 

にしても、インスタで投稿にイイネしてきたり、ストーリーを欠かさず見ているのは、意図的なのか、無意識なのか。

 

ちなみに、友人のその占い法だと来年からはワタシが“厄年”らしいのだけど、ワタシは大丈夫だって踏んでいる。なぜなら、前の“厄年”は中学時代に相当するらしく、その時期をワタシはこれまでの人生で一番ドラマチックで楽しかったと感じている。だったら次の“厄年”は、もっと感動的かもしれない。

 

なお“厄年”期間は人生の大きな決断には向かないそうで、たとえ相性抜群のふたりでも“厄年”期間に結婚したカップルは絶対に離婚している、というデータがあるらしい。よってワタシの結婚はまだまだ先になりそうだ。友人たちよ、安心してくれ!3年後に予定を空けておいてくれよ!!