マニュアル化という逃げ【杏子 出席】
by 芦田 杏子
恋のセオリーとは、あって、ないようなものだな、と近頃思う。
この前の秋に失恋をしたとき、あまりに辛かったので、人に見解を求めた。
年齢も性別もバラバラに数人を選んで話をして、幅広い意見を集めた。
結果、本当にみんな言うことが違うというのを、まざまざと実感することとなった。
そして、自分も人に意見を求められると感じるが、ひとりの人間の中でも意見はぶれる。
人なんて直接面と向かってみないとわからない雰囲気やニュアンスがあるものである。
例えばもらったLINEのメッセージ、コピペにコピペを重ねれば、それだけ発言主の意図から離れ、解釈はねじれていく。
かつて自分がしたように、友人が想い人から受け取ったメッセージのスクリーンショットやコピペを読みながら、そう思った。
結論として、未来のカードは自分の判断で選ぶよりほか、ない。
改めてそう気付かされたのもまた、友人の言葉だった。
「あしきょうちゃんは、もう少しシンプルに考えたほうがいいと思うよ。素直に連絡してみなよ」
「そっか…明日の朝起きたら、会いたいって言ってみようかな」
「それは明日起きたときの直感で決めたらいいと思う。違うなと思ったら送らなければいいし」
「わかった」
「いい? 送る前に友達に文章の添削とか頼んじゃだめだからね?笑」
言われてはっとする。危ない、うっかり添削を頼むところだった。
同じ夜の話。ちょうど付き合うか付き合わないか、その渦中を行く友達に、何て連絡をしたらよいか、とLINEで聞かれた。
こんな内容で誘えば自然じゃない? とは答えたものの、ワタシは先の友人の言葉を思い出していた。
LINEの画面には、友人から、彼に送るならどちらの文章のが良いだろうか、とふたつのパターンが届いていた。
ワタシは「個人的にはあとのほうがいい気がするけれど、最終的にはあなたの直感で送ったらいいと思う!」と画面に打ち込んだ。
その言葉を、そのまま自分に向かって反芻しながら。
ところで、交換日記を始めて、半年経ったみたいです。
「書き残そう、あなたの人生の物語」
とか言われたら書いちゃうじゃないの。