杏子とOLの出席簿

20代女子ふたりの背伸びをしない交換日記。

アルコールで消毒できない傷【杏子 夏休み】

by あしきょう

 

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お酒を飲んで吐いてしまったのは初めてのことだった。

 

週末、別の国に住む友人が泊まりに来た。
なんでもワタシが住む街に用事があってやって来るとかで、うちを宿にさせてほしいというので、異国の地において宿を見つける大変さは重々承知しているので、ふたつ返事で受け入れた。

でも、ワタシはその人のことを友人とすら呼びたくないほど、嫌っていた。なぜならその人は過去にワタシをいじめた人間だからだ。

なのに、なぜふたつ返事なんかしてしまったんだろうか。

 

それは一瞬の気の迷いで、連絡をもらったときは、

ひさしぶりだとさすがに懐かしいなぁだとか、実はきのうの夢に出てきてどうしてるんだろうと思ったんだよなぁとか、いやでも同じベッドに寝るのはさすがにしんどいんじゃないかなぁとか、でも15からの友達じゃん?とか、ここで断ったらあいつその街にいるくせに泊めてもくれないケチって言いふらさせるかなぁ、だとか

 

それらの思考が「いいよー」の一言に集約された。

 

しかしいざ迎える日が来たら、もう最初っから、会う前から、その人はストレスをワタシにかけまくった。

まず待ち合わせの約束は流れ、突然連絡がつかなくなったと思ったら数時間後いきなりうちのインターホンが鳴った。着くなりその日は地方に足を延ばす予定だと言われ、帰宅はかなり遅い夜だった。

 

遅くなってごめんねー。
これ向こうで買ったんだー。
はいこれおみやげー。

 

その屈託のない笑顔を見るたびに、思う。
ああ、この人はワタシにしたこと、何ひとつ悪びれてないし、何ひとつ憶えていないんだな、と。

 

もう長い時が経って、いまさら謝ってくれとも思わないレベルに、ワタシは過去のことに蓋をしていた。事実としてはもちろん憶えているけれど、怒った一連の出来事を思い出してしまうことこそがストレスだから、もうそれは忘却という形でリリースしたいと強く願い、半ば強制的に“忘れて”いた。

 

でも、その人が夜中に大きく寝返りを打ってワタシの背中に迫ってきたとき、意識の何倍も早く体が身震いをしたとき、ワタシの中にあの傷はまだ確かに眠っているのだと自覚させられた。

もはや具体的にその痛みを感じることはないのに、ただ体が、その恐怖を覚えていたのだ。

念のため書けば、暴力などの身体的物理的な攻撃は受けていない。にも関わらず、その人がワタシに近づいたとき、ワタシの体は恐れで竦(すく)んだ。

 

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だから、その人が帰ってから、リフレッシュするために催した自宅飲みだった。気の置けない友人を呼んで、それぞれが好きな食べ物を持ち寄って、ふたりでしっぽりと夏の宵を楽しんだ。

ちなみに宿泊費の代わりだと言って、その人が置いていった白ワインも卓上にはあった。ワタシはひとりではさほど飲酒をしないので、友人がいるときにぜひ開けないと、と思い、2杯目として瓶に手を伸ばした。

 

別にアルコールはそこまで弱くないはずだ。自分の限界は試したことはないし、頻繁に飲むわけではないが、食事と共にワイン3・4杯くらいはしらーっと飲める。

と思って白ワインの2杯目を注いだ。友人と楽しくリッツにいろいろなものを塗りまくっては天を仰いでうまーっと吠える遊びを幾度となく繰り返した。

2杯目の半分が過ぎたあたりで、なんとなく手が止まって、オレンジジュースを挟んだ。でも捨てるのもなんだかなと思い、のこり3口をリッツのあとに煽ったら、なんとなく視界が歪んだ。

 

お手洗い行くね、とだけ言い残してトイレにたどり着いたところで、ものすごく気分が悪くなり、楽しくお腹に納めたはずのものを全て手放す結果となった。視界がブラウン管テレビの砂嵐のようになって、何も見えず、しばし個室で視覚に色が戻るのを待った。
幸い、出せばすっきりというか、頭痛などはなかったが、顔面は蒼白で、友人にはただ「貧血やらかしたから休ませてくれ、すまんがお水ももらえたら嬉しい」とだけ言って、片付けを任せてベッドに倒れこんでしまった。
友人は、え、そんな飲んでないよねー、でも顔色が、ものすごく具合が悪い人の色だよ、と言いながら、文句を言わずにすべて片付けてくれた。

 

あしきょうちゃん、疲れてたんじゃないの? 昼間ものすごく暑かったし。ゆっくり休んで。

 

朝、いつも通りの時間に目が覚めた。視界もいつもの通り、夏のまぶしい日差しを鮮明に捉えて、今日も気温が上がりそうだという気配を感じ取れる程度には、普通の朝だった。二日酔いとやらも、感じられない。

すっきりした頭にうかんだのは、ちょうど1年前の夏休みの旅行のこと。毎晩毎晩、ホームステイ先のパパがバーベキューマシーンでお肉を焼いてくれて、それを囲んでみんなでサングリアをたくさん飲んだものだった。だから、自分がたかだかグラス2杯の白ワインで潰れるはずがない。

 

もしかして、あの人が持ってきたワインだったからだろうか。

ワタシは、あの人とはどうにも相性が悪いという事実に対する認識が、甘すぎたようだ。