想いを海洋に乗せて【杏子 放課後の寄り道】
by 芦田杏子
彼にすすめられ、いまさら映画『タイタニック』を見た
布団を頭までかぶってベッドでひとり見る映画もなかなか乙なものだと知ったのは、ごく最近の話だ
こんなにも、狂おしいほど美しい愛の物語があるのか、と、若き日のドヤ顔ディカプリオを見ながら思った
ジャックが燕尾服に身を包み、慣れない上流階級の立ち居振る舞いを見様見真似でドヤ顔でこなしていく様が小気味が良い
その直後には反対に、ローズが初めて労働階級の世界に踏み入り、衣装が乱れるのも気にせずに躍り狂うふたりの笑顔がまた何とも楽しそうで良い
これまでに映画を見たことはなくとも、タイタニック号の遂げた非業の最期は知っている
ゆえに長年、観ることを恐れていた節はある
しかし思い切って物語の扉を開けてみたら、その世界はあまりに甘く美しく繊細で、結末の切なさ以上に、その恋の愉しみ・愛のたおやかさがわたしの心を捉えて離さなかった
特にわたしの心を惹きつけたのは、その美しいクルーズ船の世界だった
なぜならば、実は映画を見る前にこんな展覧会に行ったのだ
https://www.vam.ac.uk/exhibitions/ocean-liners-speed-style
タイタニック号の沈没が1920年であるが、その時代、このようなクルーズ船を用いた大西洋や太平洋の旅が欧米で全盛期を迎えていた
そんなクルーズ船での旅先には日本も含まれており、日本の船舶会社も存在した
蒸気機関のおかげで従来よりも短い日数で大西洋を渡れるようになったことは画期的なことで、またその旅の間には船の上で非日常を存分に楽しむのが、船旅の魅力であった
あいにく船の中は上流階級と下層の人間とで客室も食堂もラウンジもプールもデッキも完璧にわけられていて、映画『タイタニック』でもその様子はよくわかる
そして先に挙げた展覧会では、一部その豪華絢爛な上流階級の船旅の様子を垣間見ることができた
これはディナーに向かうときに身につけられていた衣服の一例で
写真では感動がまっっったく伝わっていないたと思うのだが、とりあえず何とも美しく何ともエレガントだった
その世界観に圧倒された記憶も新しいままにみた『タイタニック』だったから、貴族の間に魅せられ虜になったし
その感動の余韻が尾を引く中で見た“彼の燕尾服”だったから、ワタシは未だ胸のどきどきがおさまらない
どうして現世において彼が燕尾服なんぞ着ているのか、その詳細は割愛するが
先日美しい仕立ての燕尾服をまとった彼を見てしまい、一夜明けても、一日たっても、その美しいテールのシルエットが脳裏にこびりついて離れない
なるほど正しく体にフィットさせた上でかつディテールの美しいテーラリングのものを着るとは、こんなにも人を美しく魅せるものなのか、と、それはそれである種の衝撃であった
普段は気取っていて偉そうに見えるあの歩き方も、テールコートを着せると実にぴったり自然である
きっとどこぞの誰かが燕尾服を着ているときの歩き方を真似していたんだな、とそのとき知った
客観的に言って彼は万人にかっこ良いと言われるタイプの人間ではないが
あの日の彼はまさしく誰よりもかっこよかった
友達になっておよそ一年、振られてその後親友を続けて半年
あろうことかわたしはまるで好きになった頃と同じレベルのときめきをぶり返してしまっている
ただ、胸が苦しい
これまた何でだよって話なんだが、今度はワタシがドレスを着て舞台に立つ日が待っていて、ワタシは夜な夜なドレスを直している
このドレスを着たワタシを、あの燕尾服を着た彼が迎えに来て、オーシャンライナーに乗ることができたなら
夢の中でいいから、とびっきりにおめかしをして、ふたりで踊ろう
星空の下、水平線を眺めて、愛を語ろう