過ごした時間にキスをする【杏子 起床】
by 芦田 杏子
目がさめると、視界にふたつのマグカップが飛び込んでくる。昨晩彼がここにいたのは幻だったような気がするけれど、そのマグカップに残る微かな茶葉が、彼が来た確かな証だ。
最近彼は、ワタシの部屋を訪ねてくる。もうごくごく自然に、言わずともワタシのダブルベッドに座り、ワタシの紅茶セレクションから茶葉を選び、紅茶を淹れてしばし語らう。
ワタシたちは、お互いに指一本触れない。
そして11時を過ぎれば、彼は自発的に帰る。ワタシはティーポットを洗うことを翌朝に回して布団に倒れ込む。心地よい疲労感は、ワタシをすぐに睡眠へといざなう。
なんてプラトニックなんだ。
朝、ワタシは布団の中で現実と夢の狭間を漂いながら、クッションに残る彼の残り香を嗅いだ。古着の匂いなのかパイプの匂いなのかわからないけれど、そのかおりもまた、彼がここにいた証拠だ。
これはこれで、とても心地よい関係で、ずっと続けばいいと思う。
でもワタシはひとつ、決心をした。
この決心が、この心地よい関係を壊してしまうかもしれないと思うと、気持ちは揺らぐ。
けれども、いつかは、いつかは何かしら結論を出さないといけないと、ずっと思っていた。
なぜなら、ワタシたちには学校の卒業というタイムリミットがあるのだ。
関係を壊すかもしれないけれど、万が一、より良い関係になれるのだとしたら、残された時間が少しでも多いほうがいい。
その2つの思いのせめぎ合いで、絶妙な機を長らく見計らっていた。
今が適した時なのかどうかすらも、もう自分ではわからなくなっているのだが。
再びクッションに顔をうずめながら、ワタシは彼が愛してくれたあの日の記憶に浸り、ちょっとだけ泣いた。