杏子とOLの出席簿

20代女子ふたりの背伸びをしない交換日記。

愛されたくない 【OL 出席】

byちやほやされたいOL

 

突っ走っていると自分を見失うことがある
駆けているうちに体と心が分離して
違う速度で1人追いかけっこをしているような感覚だ
体が心に追いつかないこともあるし、逆も然り

 

koukandairy.hatenablog.com

 

1年ぶりに会ったあなたは
変化していて、でも芯はくっきり
相も変わらずの美しい人だった

短い帰国の中での答え合わせが
あしきょうちゃんなりに満足のいくものであったなら私も嬉しい

 

私の中で2018年は
なんというか、うまくこなしたと思う
仕事はいい立ち位置をキープした
対人関係については、そうだなうん
勝手に沼に落ちて勝手に死ぬ、みたいなことが多かった気がするんだけど

 

そんなとこが私らしいなと思ったり
逆にそうでないと私じゃないよなと思ったり

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年末、ない頭を使って愛について考えていたら心が死んだ

広辞苑で調べてもしっくりくる意味は見つからないし
どんな映画を観ても本を読んでも、愛の片鱗は見当たらなかった。
そんな時に頼るのは大抵、師匠だ
師匠とは知識の倉庫のような人で、私の出会った中で最も頭の切れる人物のうちの一人だ

タバコの煙と一緒に品のある言葉を吐き出す師匠のことを私は敬愛し
わけのわからない大きな疑問と対峙する時にはつい彼に助けを求めてしまうのだ

 

 

「愛されたくないという感情の正体はなんだと思いますか」
突然OBからこんなメールが送られてきて
実に回答しにくかっただろうと思う

 

とりあえず、なんか精神状態がやばいんだろうな
くらいは想像つくにしても
テーマが重いし抽象的すぎる

なにこれ大喜利
とか思うだろう普通の感覚なら

 

師匠は私がメンタルヘルスの気があるのを知っているし
頭は悪い癖に小難しいことが好きなのも知っている
だからすぐに返信はしてこないだろうと踏んだ

 

予想は的中
返信が来たのは翌日だった
しかし私はその返信内容に驚き
近年稀に見る衝撃を受けることとなった

 

 

以下、師匠からのメールから抜粋である

''先日ルーベンス展に行きましたが、17世紀の宗教画には、当時の愛が表象としてそこにあったのではないかと感じました。恐らく、愛は寓話的で、具象的なものだったのではないかとも。

名前の呼び方が相手の欲望の所有を表すと誰かが言っていましたが、所有されることを拒否しているのなら、愛されることから逃げるのもまた、まともな感覚なのではと思います。''

 

 

 

頭の中で何度も文章を読み、その度に心が熱くなった。何度でも感動できそうだった
私は正直ルーベンス17世紀も詳しくない
欲望の所有なんて考えたこともない
でも私の欲しい答えに辿り着く為の道筋を照らしてくれるメールだった
絶妙なヒントの与え方に感銘を受けたのだ

 

感動しすぎていてもたってもいられず
結局年末に師匠と会った
会って話がしたかった
私がいかにあのメールに心を掴まれたか伝えても師匠は飄々とした様子で赤ワインを舐めるだけだったが
そんな様子もまた素敵だった

 

年末、体調を崩して部屋に幽閉された時間があまりにも暇だったので
物思いに耽ることにしたのだが
私がない頭を絞り出して1万歩譲ってギリギリ納得できた仮説はこうだ
愛とはきっと神様みたいなものなのだ、と


誰も姿を見たことがないのに、信じたがる
崇拝したり縋ったり絶望したり恨んだりする
人間が創り出した虚像
しかしながらきっと誰しもの頭の中に絶対に存在する
人間は信仰がないと生きられないとなにかで読んだが
それはつまり「人間は愛がないと生きられない」にも近いと思った。
あの日愛されたくないと思ったのは、
私には神様は必要なかったからだ
孤独がいいから



いつかなくなる関係なんて最初から、ないほうがいい

 


骨の髄まで拗らせが染み込んだ私の体では
求めたり求められたり
愛したり愛されたり
そういうことはもうできないだろう
できる自信がない
と、唐突な自信喪失により
頭をひしゃげて虚しさに海に溺れていた


もう誰にも愛されたくない
もう誰のものにもなりたくない、なれない
愛の起源を創りたくない
どうせ全部、嘘になる

「愛されたくない」の正体は
なにかしらの関係が始まることへの不安だった

 

 

 

 

苦しみながらも無理くり愛を定義付けたのは
地味にいい時間の使い方だったのかもしれない

 

おかげで今非常に心穏やかに過ぎていく日々を見つめている気がする
なにがどうなっても受け入れようと思う。

 

 

 

2019年はどんな日々を過ごしていくのだろう
今年こそいい加減、愛を諦められるだろうか