2回目のさよなら【OL 仮病】
byちやほやされたいOL
1年たったのか
と呟いたのは
12月の晴れた休日
開けた窓から
冷たさに縁どられた暖かい空気が部屋に入ってきた時
排ガスと湿った草の匂いがした
なにをするにも「平成最後の」と浮かれる街の中で
私は相変わらず
寝て起きて読んで働いて
そんな日を300回も繰り返した
あなたと終わって
1年なりますね
と、まだ繋がっているLINEでわざわざ言ったりはしないのだけど
どうやら元気でやっていそうなので
なによりですと心の中で思う
早く立ち直りたいと他の人に会ったりもした
寂しさを別の何かで埋めようと
髪を切ったりクッションを買ったり
いらない服を捨てたり
漁るように本を読んだり
でも正直なところ
もう永遠に無関係な人になろうと
腹をくくれていなかった
でも
ほぼ毎日チェックしていた彼のツイートも
徐々に閲覧する頻度が減った
涙を流す夜もなくなった
LINEは非表示にした
やっと終わりにできるのだと思う
やっと前に進めるのだと思う
冬が愛を凍らせて
溶かしてみてもなにも残っていなかったから
正した襟、閉ざしたボタン【杏子 支度中】
by あしきょう
服にはまぁまぁこだわりがある
ワタシは毎日ドレスシャツを着ている
これは小学生の頃からほとんどそうだ
高校の頃はお父さんみたいって言われて
結構傷ついたりもしたけれど
それでも着ることはやめられなかった
少年や紳士が永遠の憧れだったワタシは
シャツを着れば近づけるとわかって
来る日も来る日もシャツを着たし
来る日も来る日もトラウザーズを履いて
そうしたらいつかは男の子に
なれるんじゃないかって幻想を抱いた
生物学的に男の子になれないのなんか
もちろんわかっていたけれど
憧れを身にまとうことで
得られる幸福度や充足度が桁違いで
モテないと言われようが何言われようが
ワタシは自分のスタイルを貫き通した
それでも一度はいわゆる流行のスタイルに
寄せられないか試したこともあったけれど
はやりと世相受けと自分の心が許せる
限界のポイントを探したら
ダサくて冴えない格好になるばかり
心は全然満たされなかった
もう自分がハッピーでいられる服
だけを着ると決めた日から
いつの日かそれを受け入れてくれる
それを良いと言ってくれる殿方に
会うことができたらいいと思ったし
会えないのならばひとりでいいと思った
*
だから彼があるときワタシに
シャツいつもラルフローレンですもんね
と言ったそのときに
見ていてくれている人はいるものか
と思ったものだった
そんな彼も毎日シャツを着ていた
むしろ彼にとってはシャツが初期値
彼がシャツを着ずに出かけたところは
一度も見たことがないし
毎朝着る前にアイロンをかけていたし
脱水はシャツを痛めると教えてくれたし
カフスはいつもボタンが光っていた
ワタシがシャツを着るのには
いくつかの理由があるのだけれど
実はただ一点ほかの理由を凌駕する
ワタシにとって最大のワケがある
これはワタシのトップシークレットで
今まで誰にも話したことがなかった
彼がワタシからシャツという
仮面を剥いだその日にワタシは
そっと彼にしか聞こえない声で囁いた
なんでワタシが毎日シャツ着てるか知ってる?
その問いにも驚いたようだったけれど
彼は答えにもいくばくか驚いたようだった
それはただひたすらにワタシが
コンプレックスを隠すためのことで
誰にも悟られまいと死守してきた部分
シャツの理由を知った彼は即座に
それはコンプレックスじゃないと言った
今でもシャツの理由を知る人は彼しかいない
愛とか恋とか親とか彼とか【OL 補講】
byちやほやされたいOL
実は最近事件があって
とある男性に交際を申し込まれた
とてもいい人で
お堅い仕事だし
一緒にいて楽だし
価値観も近い
出会って2ヶ月ほど
ごはんや、古書店巡り
夜の丸の内散歩など
指一本触れない健全デートを重ねた
何度かデートをするうちに
「この人を好きになればいいのかもしれない」
と思うようになった
でも結局
交際はお断りをした
お付き合いするのは彼に失礼だと思ったからだ
**********
親との距離の取り方がわからない
私が家族という奇妙な関係の中で
どのような価値観を持ってきたかは前述の通り
私は家族を愛している反面
滅ぼしたいとも思っている
親の敷いたレールを生きてきた私が
初めて反抗したのは22歳の時だ
親が用意した就職先を蹴った
どの世界にもコネってあるのだなと感心した
私は父親の最後でありもっとも叶えて欲しかった願いを裏切り
自分で就職先を決めた
別の就職先を選んだ時「言うこと聞かない恥ずかしい娘でごめんなさい」とメールをしたら
「恥ずかしいとは思っていません。自分の思いばかり押し付けてすまなかった」
と返事が来たがきっといろいろな言いたいことがあったのだろうメールが返ってきたのは翌日だった
お前の為を思って言っているんだ
小学生の頃からそうしろと言ってきただろ
どれだけ学費を払ったと思っているんだ
私への怒りはあったと思う
でも、最終的に父は私の選んだ道を祝福してくれた
そんな優しさをありがたいとは思いつつ
父の長年の願いを叶えられなかった悪い娘としての罪悪感が濃くなった。
3年たった今でも父はいまだに転職を進めるし
結婚はその職業の人がいいだろうと口にする
母は母でまた別の厄介さがあって
月に2回は会いたいから首都圏在住の人とでないと結婚はダメ
孫は中学受験させていい大学に行かせたいから教育への関心と財力のある人でないとダメ
彼氏ができたら報告しないとダメ
結婚は早くしない方がいいけれど出産はしなきゃダメだから30代前半には
と、いろいろ言ってくる。
まあそんなのはよくある話で
親の小言をかわすのは子どもに与えられる義務みたいなものなのだが
私に刷り込まれたいい子ちゃんが
両親からの言葉をスルーはさせないのである
悲しいかな何年たっても
私は両親の期待を少しでも叶えたいと思っているというわけだ
******
話を戻す
なぜ彼の告白を断ったのかといえば
面白みのない言い方をすれば、彼を好きである自信がなかったからだ
でも「彼と交際したら、親が喜ぶだろうな」と思った。
しっかりした人だし、家族も温かく迎えるだろう
彼もきっと馴染む努力をする人だろうし
彼が家族と仲良くなってくれたら私はきっと嬉しい
彼を好きになろうと努力にも近い感覚にある自分がいた
しかし、そんなのは変だ。
念のため言っておくが、彼のことは人として好きだ
そうでなければ神保町で8時間本屋巡りなんてしないし
お互いに好きそうな本を見繕ったりはしない
でも彼への想いが恋なのか
今の私にはわからない
彼が私に向ける視線に好意が含まれているのは感じていた
3日に1回は電話してくること
私の好きなドラマを見始めたこと
毎日おはようとラインしてくれること
月が綺麗な夜は教えてくれること
大切に、外堀から埋めるようにアプローチされるのは久しぶりで
そわそわした
もっと言うと居心地は良くなかった
私が彼という人間を好きになる前に
彼を家族というフィルターを通して見てしまったこと
私が今はとても恋愛モードではないこと
恋はするものではなく落ちるものであること
なにをどう足し引きしても
彼と交際する答えにならなかった
彼は「連絡先は消したりしないから
気が向いたら連絡して」
と言ってくれた
本来私は、そんなに想われていい人間ではないのだが
ありがたい
この先どうするかは、時間をかけて考えていくことにしよう
それにしても私は本当に
恋愛が1番の苦手科目なのかもしれないな、と
つくづく思った
『ラ・ラ・ランド』のかんしょう【杏子 放課後】
by あしきょう
人類は映画『ラ・ラ・ランド』に共感した人としない人の2種類に分けることができる。
と大げさにのたまってみたが、実際、この映画はかなり「好きな人」「嫌いな人」の溝が深かったように思う。
La La Land (2016 Movie) Official Trailer – 'Dreamers'
個人的には好きな映画のひとつで、また繰り返し見たいとも思う作品だ。今日のブログではひとつだけ、どうしても、とりあげて、批判した人に対して反論したい部分がある。
女優を目指しオーディションを受け続けるミアが覚悟を持って挑んだ自主公演の一人芝居に、仕事のあとに駆けつけたものの間に合わなかったジャズ・ミュージシャンのセブ。「それで怒ったミアがわからない、仕事優先で当然」といった人がいるのだが、ここに丁寧な反論をしたい。
その一人芝居の準備中、ツアーの合間を縫ってサプライズで家に帰り彼がディナーを用意していた夜がある。そのときふたりが口論をしてしまうシーンの会話。あなたの夢見たジャズは、今あなたがやっている音楽とは違うんじゃないか、と問いかけたミアに対して、彼はつい、君が望んだことだと言ってしまう。
彼がまだデビューするより前に、ふたりで赴いたジャズバーでセブはきらいな旧友に再会する。のちほど旧友キースとの関係を問うたミアに、セブはあいつとは音楽の方向性が違うんだと話す。でもキースはセブを新しいプロジェクトに誘いたいと提案を持ちかけていた。
ミアはその提案に対して、成功するならそれはそれでいいじゃないと言った。セブは旧友の誘いに乗れば、社会的な成功と大きなギャランティーが得られる。「ここで僕が稼げれば彼女の夢への道も支えられる。」きっとかれは彼女に黙って、一旦自分の音楽への信念を曲げる覚悟を決めたのだ。この覚悟は「Summer」のシーンの終わりで、彼女の寝顔を見る彼の少し憂いた視線に表れている。
でも彼はきっと舞台で光と歓声を浴びながら、自分の本音と建前の折り合いをつけることに忙しかったに違いない。本音を押し殺して、観客の声援に応えていたのだろう。
ツアーの一公演を見たミアはきっとそんな彼の葛藤にうっすらと気づいていた、だからこそサプライズの夜にふと問いかけたことだったが、彼にとってその問いを受けたときに“彼女を思ってした我慢”を支えていたつっかえが揺らいでしまったのだ。
一方でミアは、彼がやったらいいと強く背中を押してくれたことだから、本当は不安で仕方なかったし成功の見込みもない(と本人が思っていた)自主公演を打つ決心をした。だからもはやそれは、彼が見てくれなかったら意味がないことなのだ。
両者の間には「相手のために」と歯を食いしばっていた思いがあった。相手のことを想ってそれぞれの活動に取り組んでいたからこそ踏ん張れたが、同時に自分がどうしてどのように相手を想って、その活動をしているのかということを対話できなかったのが、彼らのおかした失敗だ。
「誰かのためならがんばれる」というのは真実だ。でも相手が知らないところで「相手のためにがんばる」ことは、すれ違いを生む。
その活動を、何のためにがんばるのか。その対話を怠ると、相手が望んでないことも引き起こしているかもしれないのに、そのまま突き進んでしまって、ふたりのビジョンはかけ離れていく。
溝が出来てから、あなたのために頑張ったのにと言われても、相手はそれを負担としか捉えられない。余計な御世話になってしまう。
相手のために我慢したのに、という言葉が発せられる時、それはだいたい相手のためになっていないことのほうが多い。
もし相手がいなかったとしても、自分はその活動を自分自身のために楽しめるだろうか、という問いは、常に手の届くところに置いておりにふれ確認すべきことかもしれない。
相手のために何かを我慢したとして、我慢というものは、自分のためのものでない限り、どうしても見返りを求めたくなってしまう。その我慢の行方を考えたら、それは相手への負荷でしかない。
DJあおい氏のブログをしばしば読んでいるのだが、最近の記事のこの言葉がずっと心に響いている
「迎える準備も、別れる準備もできている
それが『人を想う』ということですからね」
相手に見返りを求めることというのは、相手を自然に還すなどできまい!と思っている証拠であるわけで、リリースできないということは、逃げられても文句が言えない。
リリースできる状態というのは、相手が自分のもとを去りたい場合に、逃げるという形でなく、お互い、特に相手の尊厳を守ったままでお別れができるという状態であるわけで、逃げるという形を相手に取らせてしまうのは、相手のプライドをへし折っている。
相手の尊厳を最後まで守れるか。それが愛情なんだと、しみじみ考える。
その点で言えば、ラ・ラ・ランドの「Fall」の最後のシーンで、ふたりはお互いの尊厳を守ったまま、それぞれの道を歩むことを決める。
だからこそ、カップルとしての終焉の場面にありながら、ふたりの口から自然に「 I always love you.」などという言葉が出てきたのだろう。
La La Land (2016 Movie) Official Clip – “City Of Stars”
とはいえ、個人的に歌やダンスの点では「甘いな」と思える点があって、全面的に諸手を挙げてこの映画を賛美できるかというと、そうではない。
特に1回目に視聴した1年半前から今までの間に、わたしはフレッド・アステアという人やジーン・ケリーという人を知って、そこからハリウッド黄金期の映画にはまったもので、今となっては見えるものも変わった。
Top Hat, White Tie & Tails Fred Astaire, Top Hat
俳優は歌って踊れなければいけなかった時代からすると、現代の俳優さんは演技の訓練はしていても、踊りと歌は分業化されてしまったこの時代に、いきなり往年のスターのようにやれと言っても無茶があるというもの。むしろ限られた時間でよくも稽古をつけたと言うべきなんだろうけれど、コンテンツとは言い訳が効かないものなわけで。
とくにこの映画はそういったハリウッドゴールデンエイジへのオマージュが多分にあるからこそ、かえって本物とのレベルの差を浮き彫りにしている気もして、アステアやケリーの華麗な踊りを思うと、ちょっといたたまれない。
それでも。わたしはミアとセブの、お互いへのリスペクトを失わなかった愛に、何度でも魅せられてしまう。
1回目に見た頃、わたしは鑑賞後に「こんなふうに愛したい人、わたしの人生に現れるんだろうか」とちょっと切なくなったりもした。
不思議かな、実は我が想い人・殿と初めて会話をするのが、その一度目の鑑賞の翌週のことなのであった。当時はまさか、わたしがこんなにも殿を愛してやまない事態が発生するとは、予想せなんだ。
そしてわたしにハリウッド黄金期を教えたのも、彼。
普段なら、アカデミー賞をとるようないかにも人気で話題の映画はみないワタシが、気が向いて機内での時間づぶしに『LA LA LAND』を選んだのはおそらく、何かの因果なのだろう。
アステアとケリーを憧れに自分のスタイルを探し追い求める彼は、先日、新天地に向かった。さみしくないと言えば嘘になるけれど、さみしくてどうにもならないというわけでもなく、ワタシは案外淡々と日常を紡いでいる。
さすがに彼が飛行機に乗った日は泣いたけれど、涙を拭いてみたら、それが何の涙なのかわからなくなっていた。だって、きっと、また会える。別にワタシが泣いたって彼は戻れないし、彼がいなくたってワタシの暮らしはただ続く。むしろ次に会えたその日に、すてきな笑顔で会うために、ワタシはワタシの暮らしの充実を図るべきだと思った。彼もきっと、新しい道を歩みながら、そう思っているような気がする。
大恋愛の定義【OL 秋休み】
byちやほやされたいOL
今のiPhoneにして2年になる
機種変更の時期だ
格安スマホなので
機種変したら
快適になるだろうし
利用料も安くなるだろう
でも、なかなかその気になれない
まぁなぜかというと
「本命とのやりとりが消えてしまうのが嫌だから」
なのですが
まだ本命のこと言ってんのか
と呆れられてもしょうがないのだけど
大恋愛は人生に2回あるらしい
この説が本当だとすると
本命は確実にこのうちの1回だった
今となっては、恋愛だったのか?
もはや戦いだったといってもいいのでは?
と思うのだけど
なにを持って大恋愛だとするのか私は知らない
一緒にいた時間の長さか
どれだけ意見の交換をしたかなのか
重ねた逢瀬の回数か
未来を夢見た夜の数か
くだらない定義を持ち出すのは無粋だ。
私にとっての大恋愛を
相手が今どう思っているかは知りようがないけど
どうやら彼はたまに私が送るライン(ほぼ日記)を確認しているようだし
SNS類は繋がったままだし
仕事も順調なようなので
それで私自身は十分、満足ですはい
もし意地悪な神様に
私と本命どちらかにしか明るい未来を与えられないから
どちらが享受するか選びなさい
と言われたら
私は本命の顔を見て、あなたにあげる、とは微笑まず
神様をぶん殴るだろう。
「神は死んだ」と笑って
本命には、元気でいてほしい
幸せであってほしい
私の知らないところで
私の知らない温度で、顔で、声で、熱量で
大切な人のことを毎日抱きしめてあげてほしい
だいすきだった人の幸せを願えるようにしてくれた
だから大恋愛だったんだと自信を持って言えるのよ
スーツをまとったシンデレラ【杏子 出席】
by 芦田杏子
なんてタイトルをつけてくれるんでしょう
恐縮のきわみです
うれしさのあまり
数日ほどほくそ笑んでおります
美しくありたい、という思いは
心のどこかに
いつも掲げているのですよ
ただね、ワタシの場合
己の美意識の方向性の問題で
それはだいたい
人から「かっこいい」と言われるのです
ずっと、かっこいいと言われることに
喜びを見出していたのですが
殿に会ってからというもの
ワタシはすっかり変わっちまいました
気づいたんですよね
本当はワタシだって
かわいいって言われたいし
きれいって言われたい
でもなんだか
自分がそう言われることは
誰かを敵に回す気がして怖くて
イケメン女子枠ってある意味楽なんです
非モテキャラほど
落ちぶれた気持ちにはならないし
というか、簡単ですよ
ちょっとパンツスーツを着て
ちょっと甘い言葉を吐いて
自分がお姫様だったらされたいことを
相手にしてあげるだけ
女の子が求めることが何かわかるから
漫画の中の王子様みたいなことを
普通の男性よりよほど簡単にできるんです
そして何より、誰も敵に回しません
男の子と仲良くしても
あの子は男子枠だから大丈夫といって
誰にも恨まれないのです
女の子同士のいざこざは
小学生の頃から結構巻き込まれたくちで
だからもう、嫌だったんですよね
それで自分の中の
お姫様メンタルを抑制することで
身を守ろうとしたのでしょう
結果見出したイケメン女子枠は
とても居心地もよかったし
女子からも男子からも愛されたけれど
ワタシは本当の本当に本当は
自分だけの王子様が
ほしくてたまらなかったんだと思います
殿に会ったことで
ワタシが柄になくかわいくしようとも
あの人なら
気持ち悪がらずに受け入れてくれる
という安心感が生まれ
なんなら
もっとかわいくなるような魔法を
あの人はワタシに
さらりとかけていくものだから
それは褒め言葉のこともあれば
あるいは
こういうものを身につけたらいい
なんてアドバイスのこともあるけれど
ワタシは今さらになって
長年抑えていた自分の中の乙女心の
爆発を止められないのであります
鏡に映る自分に向かって
恥じらいから「誰だよ」と言いつつ
その姿は自分でもわかるほど
日に日に変化していって
ああ、あなたはいったい
なんという魔法を
かけていってくれたんですか
昔読んだ携帯小説の中でも
ひとつ忘れられないフレーズがあります
「世界を敵に回しても」
あなたと共に生きたいというフレーズ
かつては敵を作ることを極端に恐れ
悪く言えば八方美人
よく言えば誰に対してもイケメン
というスタイルを貫いていたワタシは今
世界を敵に回すほど破滅的ではなくとも
千人の味方よりも
ただあなたひとりがほしいと
思うようになりました
あなたの美しい日常について【OL 出席】
byちやほやされたいOL
あしきょうちゃんが書いてくれた前回の記事が
とてもくすぐったくてとても嬉しくて
あと8年は平穏に生きられそうなOLです。
あしきょうちゃんは私に同じことをやってほしくない
と言ったけど
私は私の意思で、やらせてもらうよ←
***
これはほんと自分でも何回読んだかわからないくらい
こんな不可抗力の恋に直面しても己を見失わない芯の強さ
あしきょうちゃんの凛とした美しさのルーツが見えた
親は結局一番繊細な笑いを共有できるし
親の言葉の影響は大きいし
困った時に助けを求めたくなるのも親だし
嫌いになることなんか、できないのだ
タイトル・キャッチ画像・この一文=センスの塊
親と職業の話
自分の人生に100%満足、なんてないかもしれない
でも、100不満足もきっとない、ないと信じたい
私とあしきょうちゃんはまったく違う道を歩いてきたけど、それでも出会うことができたから
幸せに飛び込むとき、人は恐怖心を感じる。でもそれに打ち勝たねば、幸せは手に入らない。
このエントリを公開されたのが11月後半、10カ月がたつわけですが
時間がたつの早いし、ここからの持久戦を戦っている(?)あしきょう氏の愛の忍耐力
今読んでハッとした、この文章。表現が的確で、まっすぐな人柄がみえる
傷付くの覚悟でまっすぐ立ち向かうあなたは、美しいよ
朝、ワタシは布団の中で現実と夢の狭間を漂いながら、クッションに残る彼の残り香を嗅いだ。古着の匂いなのかパイプの匂いなのかわからないけれど、そのかおりもまた、彼がここにいた証拠だ。
まるで映画のワンシーンのように情景が見える。
そして最後の一文が涙を誘う。
この3行で、穏やかだった昨夜、しんみりさみしい今、どこに行くかわからない2人の行方が見えるようで、小説を読み進めるみたいに私はこの恋を見守ってます
もはや具体的にその痛みを感じることはないのに、ただ体が、その恐怖を覚えていたのだ。
恋以外の話もリアルに書けるなんて器用だな、と
きらいな人のことを否定せずに淡々と書くもんだから余計に臨場感が増しますよね
変化を、受け入れよう。
すいません元ネタがわからない勢でした。
画像がどれもかわいくて好き
一話完結と思わせておいて連載されている恋の物語
それ以外でも学園ものの話も緊張感のあるリアルさが好きです。
1人じゃ全然続かないブログも
あしきょうちゃんとやることで続いているよ
ありがとう(更新を止めるのはいつも私だ、ごめんなさい)